くすりのCMはどうにかならないものか

『「わかる」とは何か』長尾真著 岩波新書

という本がある。私は子供の頃、「どうして?」とよく訊いていた。
すると訊かれた人はわかる範囲ではあるが答えてくれる。たとえば、
「鳥はどうして飛べるの?」「羽根があるからさ」
「羽根があるとどうして飛べるの?」「え~っと・・・」
というように、いつまでも「どうして?」と訊いていく。
どこかで答えていた人は「わからない」となる。

この本では理解について、科学的理解ということを扱っている。
演繹による理解だ。既存の知識から演繹されて導かれる説明である。
複数の知識からある事象を説明することだ。この本で上げている例だと、
「水は100℃で水蒸気になる」ことの説明を
(a)「水は100℃で沸騰する」
(b)「沸騰すると水蒸気になる」
として説明している。
これらはひとつの事象を複数の事象にわけ、それぞれの事象を既存の知識であれば理解できる。ということである。
実際には理解していないのはさらに「どうして」と訊けばわかる。
上の(a)にどうして?と訊かれて答えられる人は少ないだろう。
科学の勉強をした人ならわかるだろうけども、それにしてもさらにどうして?
と訊かれていくと、わからないところに行き着く。
その根源的な部分を研究するのが基礎学問といわれるものであろう。

さて、理解するとはなにか? ということについてはこんな感じとしておいて、
くすりのCMである。
「塩化リゾチームが入っているので風邪にききます」
はっきりいって、何の説明にもなっていない。
何秒間かのCMで一般人の知らない薬効成分を羅列したところで説明になりはしない。
くすりのCMでは「効く」ことを前面に出したいから、科学的説明のようなCMをしているが、実際には全く説明になっていない。

臨床結果であれば少しは信頼性もあがるのだが、実際の臨床結果を公表したら
売れなくなるだろう。

であれば説明的CMではなく、イメージ戦略に努めるべきではないだろうか?
「有効成分××を100ミリグラム配合」等の情報は必要だが。