ネット人格はどこへ向かう?

最近、頭の中でもやもやしている考えがあります。
実名でのネット利用と匿名でのネット利用ということですが。

ネットを実名で利用する、ということは、ネットのサービスで使用するIDに実名を使おう、ということです。
匿名でも常に同じIDを使っていれば、ネット上でのその人を特定することになります。ネット上に長くいると、個人情報もだんだんたまっていきます。ネットで知り合った人たちと実際に会うこともあるでしょう。
そうすると現実世界とネット世界とか融合してきます。
ネット世界と現実世界が融合しているIDであれば、匿名とは言いがたくなります。
そうなるとそのIDでの活動はその人自身なのでしょうか?

確かにその人の一部ではあるでしょう。

でも一部でしかない。もしかすると体の一部と同じように重要なものになるかもしれない。既になっているひともいるでしょう。

でもネット上のIDは簡単に削除できる。

この一点が何かもやもやする感情を起こさせます。
確かに実在する人が向こうにいて、twitterを通して会話したり、その人の投稿作品を見たりする。けれどももしその人(あるいは遺族)がIDを削除したときに、その人が現実に亡くなった、と認識できるだろうか疑問に思う。
ネットを通した出来事がまるで小説であったり漫画であったりするのと同じように感じるのではないだろうか? 

オフ会や、何かのイベントでて実際に会おう、とするのはネットだけの経験では不安だからじゃないかな、と思います。