昨年、家のトイレを新調した。
築30年にもなるような家なのでトイレは洋式ではあるがウォシュレットはついていなかった。
今度のトイレはウォシュレットで、脱臭機能もある。
これがなかなか強力で、今までは使った後は臭ったものだが、今では気にならない。
ところで、自分自身が出したものについても気にならないのはすごいのだが、
はたしてこの機能がついたトイレでしか用を足さずに子供が成長したらどうなるのか、
と気になった。
トイレの脱臭機能は広がることはありこそすれ、減ることはないだろう。
公共的なところは特に導入が進むと思う。
もしかすると、臭い匂いを知らずに成長してしまうのではないか、と危惧するのだ。
世の中には見たくないもの、触りたくないもの、というものがある。
「穢れ」に属するものだ。
つまり、死体であるとか腐ったごみであるとか用便であるとか。
これらは、できれば自分から離していたい、と願っているものではないだろうか。
臭いところにいたくはないし、汚いものはきれいにしたい。
しかし生きていくことは何かを汚すことであろう。
汚れることを知ることは大事で、用便は臭いものなのだ、ということを学習しなければ行けないが
脱臭機能が普及しすぎるとどこで用便が臭いことを学ぶのだろう?