日曜日の夜、大体今の時間(10時~)はフジテレビの「サキヨミ!」を見てます。
今日は星島被告に対する裁判について。今回のこの裁判では、犯行の一部始終が公開され、今後の裁判員制度を意識したものとなっています。
事実は小説より奇なり、といいます。裁判、しかも裁判員制度で取り扱うような重要な犯罪は、まさに小説よりも奇特なものであり、むごたらしいものであったり、不思議なものであったりするでしょう。
今回の件は、殺人と死体損壊の罪で、その死体処理の仕方が残忍である、ということで傍聴した人たちは気持ち悪くなったでしょう。裁判中に退席した人もいます。
しかし、番組内の意見にありましたが、判断をするにはすべての証拠をそのまま「リアルな」形で提供する必要がある、ということに賛成です。いくら残虐で非道な行為であっても、それが人間である、という事実に立って、判断をしなければいけないでしょう。裁判員になったら、事実を受け止めなければいけない、ということです。
今日のサキヨミでは、伊東乾氏が出演していました。裁判員制度について伊東氏は日経ビジネスオンラインで面白いコラムを書いていたので、どんな発言をするのか興味を持ってみています。
裁判員制度で、分かりやすい説明、というのは分かりますが、問題は「演出」が入ってこないかどうか、というところでしょう。
文章でいうなら、たとえば
「被告は右手を大きく振りかぶり、力任せに被害者の側頭部をハンマーで数箇所の穴があくまで何度も叩いた。」
というような内容。「大きく振りかぶり」「力任せ」といった言い回しは正確といえるかどうか疑問です。検察側は被告の心証を悪くする意図があるのではないでしょうか。上記の例で言えば、力任せかどうかは分からないことです。客観的にいえるのは遺体の右側頭部に穴が開いているということであって、力任せかどうかは分かるものではありません。分かるとしたら、穴を開けるにはどれだけの力が必要で、被告の力ではその穴を開けるためには力いっぱい叩く必要があるはずだ、という状況判断でしかありません。しかしそこまで裁判中に分かるでしょうか?
検察による供述に対し、被告は「そのとおりです」と回答したと報道しますが、検察の言葉の一つ一つがそのとおりかどうかは疑問です。「大筋で認めた」というように、文章の一つ一つがまったく正しいわけではないでしょう。そういう細かい部分の積み重ねが量刑に反映するような気がするのですが、実際にどうなるかは裁判員制度による裁判が始まらないと分からないでしょう。
裁判員には「疑わしきは被告の益」というのを忘れないで欲しいと思います。