いのり☆フェスティバル2012

今日は浅草橋に出かけ、「いのり☆フェスティバル2012」を見に行きました。

まだ開催して回数が少ないこともあり、ブース参加は多くはありませんでした。
来てたのはのべ150人ぐらいでしょうか。
おたキングこと岡田斗司夫氏と教会の牧師(補教師)と住職との鼎談形式のトークショーが一番の目玉でしょうか。また、ゴスペルシンガーのMigiwaさんのライブもありました。
Migiwaさんの声は澄んでいて、また裏声との切り替えが上手で高音の滑らかさは素晴らしかった。
岡田さんは数年前に減量に成功して著作もありますが、リバウンドしてきたみたいで、鼎談のなかでもちょっと話していました。
前半でキリスト教の宗派の違いをアニメに翻訳するのはらしいです。ただ、オタク王というのも最近は情報が多すぎて追いついていないような感じを受けました。まぁ、マンガ・アニメのなかで仏教やキリスト教の影響があるものはどんなものがあるのか、なんてすぐに応えられるものではないでしょうけど。

あと、ブースの中にはベーカリーカフェ「五つのパンと二匹の魚」が来ていて、売り子さんがコスプレしてました。聞いたらプリキュアの「いのり」ちゃんだそう。

鼎談を見ていて思ったことのひとつが、思想の連続性、というか歴史的なこと。
思考というのは個人で完結するけど、それでは限界があるから沢山の人たちで考える。インターネットが発達し、集合知によって飛躍的に思想というものの網羅性が増えたのではないか、そして現代の多くの人たちは「今」の思想が一番発達していて、今を生きている人たちで考えて最適と思うことが最適だろう、と認識しているのではないか、と。
それは同じ時代に生きている人たちの間で意見の交換ができるからなのだけど、それは同時代という足かせがある。今、においては最適かもしれないけど、今後もそれが最適であり続けるとは限らない。科学や思想が発達して、今の思想が最も優れているように思いがちだけども、果たして100年後、500年後もそうだろうか? 科学がさらに発達し、思想も発達していくならば、今の思想も朽ちていくだろう。 同時代という水平の思考の広がりばかりでなく、時代をまたがった垂直な思考の広がりというものもあるだろう、ということ。

それはせいぜい100年しか生きられない個人では不可能なことじゃないかと。そしてそうした思考を可能にしているもののひとつが長く続いている宗教なんだろうな、ということ。
だから、個人的な信仰観ではなく、集団としての信仰を守り続ける必要がある。

100年後、500年後も信じ続けられるものを探さないといけないし、見つけたものは守らなければいけない。