これこそ経営者の思う壺じゃないかな。

日経ビジネスの記事です。

育休フィーバーの影で犠牲を強いられる“正直者”たちの鬱屈

男女機会均等法ができ、会社に女性が進出してくると、女性特有の問題が出てきます。妊娠・出産は女性にしか出来ない大きな仕事で、これを間接的にでもバックアップする育児休暇を用意する企業も増えてきました。
一方、そういった女性のための権利は、降って湧いた物ではなく、相応の努力があったわけです。つまり、何らかの犠牲を払って会社に貢献し、会社は報酬として育児休暇制度を作ったという経緯があるわけです。
そうした犠牲を払ってきた女性たちにとって、育児休暇を当然のように取得する若い人たちに対して、苦い思いを持ってしまう。

こういった感覚は分かるのですが、その苦々しさは育児休暇を取得した和解人たちに向けるものではないはずです。
本来、彼女達が支払った犠牲は不必要のものであり、企業がその力関係から彼女達に犠牲を強いたのです。それは明確に口に出されたこともあるでしょうし、職場の雰囲気というもので醸し出されたものかもしれません。

同僚が育児休暇を取得したことで、仕事量が増え、愚痴がでるのは分かります。しかし仕事量が増えたことに対しては、経営者側のマネージメントの問題です。
この記事の中では、経営側が全く腹を痛めていない。昔は育児休暇をとった本人が苦労したのを同僚が苦労するように変わっただけで、本来痛みを受容しないといけないのは企業側であるはずです。それが育児休暇制度が制度たるための必要条件ではないでしょうか。

企業は育児休暇の間、業務を遂行するためのバックアップをしなければいけません。たとえば納期を延ばす、人材を増やす、といったマネージメントです。

育児休暇をとった同僚に対して愚痴を言いたくなるような気持ち、それ自体が経営者の思う壺です。