社畜にならないように会社以外のコミューンを持つべき

食事はコミュニティの基本です。
会社でもコミュニケーションが重要なことは分かっていますから、マネージャクラスの人は部課内のコミュニケーションが取れるように苦慮します。

戦後の高度成長期で取られた社内コミュニケーションの方法は上司が部下を従えて飲みに行くことでした。それを「飲みニケーション」などと言います。

海外ニートさんの記事で飲みニケーションについての話が出ています。

飲みニケーションに代わるモノ。

飲みニケーションは批判されるべきものですが、社畜と呼ばれるような人たちは、会社以外のコミュニケーションの場がないのかもしれません。

終身雇用の時代であれば、会社というコミューンは人生の大きな部分を占めており、社内コミュニケーションは重要でした。20年、30年も顔を突き合せないとしたら、嫌われるのはまずいです。そこで仕事の後も食事や酒を一緒にすることでコミューンの維持をしてきた、と言えるでしょう。

現代の飲みニケーションの問題は、終身雇用が崩壊したにもかかわらず、仕事以外の時間にコミュニケートしようと図ることです。

思うに、今でも仕事の後に会社の上司や同僚・部下とコミュニケートを図ろう、としているのは、コミュニケーションに飢えているのではないか、と思います。彼らは、会社以外にコミュニケーションするところがないのです。仕事人間として働き、心に何かしらの空隙があるのをコミュニケーションで埋めようとするのですが、仕事に比重を重くしていたばかりに家庭コミュニケーションが崩壊しかけていて、満足に過程でのコミュニケーションが図れていない。

社畜と言われる人のすべてが家庭に問題があるかどうかは分かりません。しかし、会社と家庭(あるいは親しい仲間)、というのは労働者の誰もが持っているコミューンであり、その会社に拘束される仕事時間以外にも会社とつながりを持とう、としているのは家庭に問題がある可能性が高いのではないのでしょうか。

人生を豊かにするために「趣味を持ちましょう」というのは、ライフワークバランスを取るために有効なことです。「仕事」「家庭」「趣味などその他の方法による社会とのかかわり」のバランスが社会的健康と言うものでしょう。