宮下公園について考える

渋谷の宮下公園がスポーツ会社ナイキに命名を売り、ナイキはさらに投資をして公園内にスポーツ施設を作り、公園利用の有料化と夜間の入園禁止を考えている、というニュースについて、再考してみる。

トラックバック先を読んだけど、「支援者がホームレスを自宅に受け入れればいい」という論考は具体性にかけると思う。

ホームレス支援に限らず、ボランティアで炊き出しや衣料寄付とかの社会活動があるけど、社会的弱者に対する支援というのはいろいろな段階がある。
最も深いのが自宅に受け入れ、生活のすべてを引き受けること。
偉人といわれる人にはこういったことを実際に行った人がいる。
一般の人でちょっと興味が湧いたとか、共感して支援しよう、という人は、団体への寄付を行うだろう。
さらには団体の活動の直接参加、ただし休日の一時間とかの負担にならない範囲で、というのがあるだろう。
また、団体の社員として、薄給で活動に参加する、というのもある。
生活のすべてが支援業に繋がっている、という人もいるだろう。

ホームレス支援者がホームレスの人を受け入れればいい、というのはホームレスというものが社会のシステム上発生してしまうものであることを無視して、臭いものには蓋をするその蓋になってくれ、というもので、社会構成員ひとりひとりが持っている責任の放棄であろうと思う。

実際に支援者がホームレスを受け入れても、すべてのホームレスを受け入れることはできない。むしろホームレスが増えるだろうと思う。

社会基盤として、ホームレスを受け入れるようなシステムが必要で、それは支援団体に任せればいいものではなく、行政を主体として社会として関わらなければいけない問題じゃないか、と思うのだ。

宮下公園の名前をナイキが買い取るというのは、「私企業が公の土地を自社の利益のために私有地のように扱う」、公の土地が一企業のCMとなってしまう、というところであまりいい感じがしない。

ナイキが土地を購入して、それを開放し、内部に作ったスポーツ施設の利用料を徴収する、という形ならいいんじゃないか、と思うけどね。

公園内にナイキのスポーツ施設を作るなら、ナイキは公園利用料として、毎月それなりの金額を渋谷区に支払うのならまだ理解できる。

ナイキがはいることで公園がきれいになって、周辺住民の利用環境がよくなる、という点もあるので、ナイキが買うのは絶対反対、とはいえないんだけど。

難しいね。
考察のための情報が私は足りないので、こんなところ。