肌はメモ帳

私はやらないが、時々、自分の肌(腕とか手の甲とか)にメモを書いている人を見かける。

メモだったらメモ帳に書けばいいだろう、と思うけど、直接自分の肌に書き込むことで忘れないようにするためだろう。
書評サイトとして毎月サラリーマンと同じような収入を得ている小飼弾氏はメモをしないそうだ。大事なことなら忘れない、ということらしい。

私はメモをしていなかったが、携帯電話を使うようになって、スケジュールにメモを書き込むようになった。
それでも本当に重要なことは、メモをしなくても忘れない、と思う。

肌に書くことは、折りにふれて目に触れさせ、記憶を定着させること。
メモを書いても忘れるのは、メモに書いたらメモを読まなければいけない、ということを覚えなければいけないからだ。肌に直接書くのは、「メモを読まなければいけない」ということを覚えなくてもいいからだ。
覚えておくこと、というのはやらなければいけないことであり、それはタイミングというものがある。例えば「シャンプーを買っておくこと」であり、会社からの帰りにコンビニに寄ると、思い出すことが求められる。
つまり、毎日の動作の中でコンビニに立ち寄ったときに思い出すような方法として、肌にメモをする、というのがある。
しかし、必要なことというのはコンビニに立ち寄ったとき、「買っておく物がなかったかな?」と自然と考え、「あぁ、シャンプーがもうなくなるから買っておかないと」と思いつくことなのではないか?
シャンプーがなくなることに気づくのは、前日に頭を洗おうとしてシャンプーがなくなりそうだ、という現象にであるからだ。
 
シャンプーがない→買っておかないと→忘れないためにメモしよう
ではなく、
コンビニによる→買わなければいけないものはなかったか?→シャンプーがなかったから買わないと。
というふうに連鎖させることで覚える必要がなくなるのではないか。
肌に直接メモを書くことは考えることを放棄していることであり、本当に重要なことは、都度考えればおもいつくことであるはずだ。

逆にあまり重要でないけど、やっておいたほうがいいこと、というのはメモにしておく意味があると思う。

メモ:
携帯で漢字の間違いを修正しようとしたら後半の文章が消えてしまった。
後半は書き直しました。