責任のない発言

私は責任のない発言が好きだ。

思ったままを書けるのはなんとすばらしいことか。
このすばらしさは、わかっていない人が多い気がする。

表面的に何でもしゃべれていい、というのではない。
発言内容と、「誰が」「どういう立場の人が」という前提条件が
まったく関係のない発言ができることがすばらしい。
つまり、発言内容だけが本質。

実際には「誰が」発言したか、というのは聞く人にとって重要。
医者が発言する病気の話と誰だかわからない人がした病気の話は
まったく同じ内容だとしても、「医者」の発言だから、として
信用してしまう。
 信用して悪いのではない。「医者」として発言したのなら、
その内容に責任があるのだから。

これは何を意味するか?
発言者に対し、責任を負わすことにより、聞く人の「聞く」能力
を不要にするのである。 また、発言者は己の「立場」を示す
ことにより、ある程度の信用を無条件で手にいれることができる。

責任のない発言では、その内容が本質なのだから、ひとに対する
発言は慎重の上にも慎重でなくてはいけない。

向かい合って話すより、文章だけのネット上コミュニケーションは本質がされけ出される。

ことばはむつかしい。