格差社会の現れだろう

ミシュランが京都の料理屋さんに星をつけたそうです。

食事というのは、生活の基本中の基本ですが、いや、だからこそ格差が表れるように思います。

2個で5000円!“超高級おにぎりランチ”の中身とは

“超高級おにぎりランチ” 2個で5000円

私はお昼には弁当を買っています。1食380円です。食堂もあり、そちらで定食を注文すれば500円です。
会社の中であれば、福利厚生の名目があり、従業員向けの食事は安くなります。
一方、「社員食堂の食事はまずい」と言って、外に食べに行く人たちもいます。
また、エグゼクティブと呼ばれるような人たちは、昼食は大事な情報収集の場と考えて、高価な昼食のところで別のエグゼクティブと親交(顔を広める営業活動でもあります)を深めよう、などとしています。

食事とは自分が所属するコミュニティとの場であり、それはムラが作られるところです。

ランチが5000円と言うのは、その味ではなく、コミュニティの値段なのです。

それは階級社会が表面化されたものであり、下層の人には届かないものでもあります。
5000円のランチにせよ、ミシュランの三つ星レストランの5万円のディナーにせよ、これらは食事のサービスが表向きですが、格差を見せ付ける施設と言うのが真の意味です。
ノーネクタイは入店禁止としていたり、高級な食材や家具をつかっているのは格差を醸し出す雰囲気つくりです。
「お客様がいい気分になるようにサービスするためです」とレストランオーナーは言うかもしれません。しかし、なぜお客様が気持ちいいと感じるのか?

それは三つ星レストランという上位階級の場所で食事をしている、と言う自己満足だから。味はその場所の階級社会の一部でしかありません。

5000円のランチときいて、「痛いニュース」で投稿している人たちは、「高すぎ」と騒ぎます。「コストパフォーマンス悪すぎ」と非難します。
当然です。この食事は上位階級のための食事であり、一般庶民が気にする食事ではないのです。本来なら上位階級の人がコンビニの100円おにぎりを買うべきではないのです。