誘導尋問は行われた。

足利事件で無期懲役の判決から一転して冤罪が判明して無罪となった菅家さんに、取調べのテープが送られたのが10月5日でした。
このニュースのなかで、検察側は「再審公判での再生や第三者への交付などに使用しないことを条件にテープ等の開示に応じる」というようなことだったので、テープの内容については公表されないかもしれないと思っていました。
しかし内容が公表しないわけにはいかないものだったと思われます。
当時の県警の捜査幹部は「誘導はなかった」と話していたそうですが、今回のテープ内容の公開で誘導されていることが分かります。

検察の容疑者に対する尋問は、事件のあらましを調べる上で必要なものですが、某テレビ局の番組プロデューサが独自のシナリオを元に取材するかのごとく、検察が事件のシナリオを考えてそのシナリオにあった自白を強要/誘導するのは良くないですね。

今回の一連の報道で感じるのは、裁判所の有効性です。自白は、裁判での重要な証拠のひとつですが、誘導されて作られた自白に証拠としての価値があるのでしょうか? 裁判所は、提出された証拠を証拠として吟味しなければいけないはずです。裁判所は検察に対して贔屓しているように思われます。裁判所は検察側と弁護側とに対し、中立でなければいけませんが、それが出来ていないと思われます。

裁判の内容は放映されませんが、傍聴して裁判の内容を報告することは出来ます。
ネットでも傍聴しつつメモをとり、休憩時間に裁判の内容を配信する、といったことはされるようになりました。また、裁判傍聴を趣味とするような人も現れました。

義務教育で学ぶ3権分立に加え、世論の代表としてマスコミは第4の権力といわれるまでになっています。しかしその権力も、政治家や国会議員に対するものであって、裁判所に対してはまだまだ影響力が少ないといえるでしょう。
裁判所が唯我独尊的になっているのは、真の主権者たる国民の影響力が及んでいないからではないでしょうか。

国民審査だけが裁判所を監視する仕組みになっているのは制度として不十分です。
今年から裁判員制度が開始され、どういった判決がされるか、ということがニュースになりますが、裁判員制度の行使の中で、裁判所がどのような働きをしているのかということを公開する必要があるのではないか、と思います。
そして、裁判所ならびに裁判官がどのような仕事をしているのか、チェックしなければいけないでしょう。