考えることについてのメモ2

私は日本語をしゃべるが、これは耳が聞こえ、日本で生活していたからだ。

私は知り合いに、耳の聞こえない人がいないので、想像するしかないのだが、
耳の聞こえない人、とくに生まれてからずっと耳の聞こえない人は、耳の聞こえる日本人が理解するようには日本語を理解は指定内容に思う。
耳の聞こえない人たちは耳の聞こえない人たち独自の文化があって、手話はその最たるものであろうが、その文化を土台とした考えをするはずだ。
それは音を抜かした世界であるが、音が無いだけではなく、音による影響が無い世界である。
その一端は、テレビの音を消すことでイメージできるだろう。言葉が聞こえないだけでなく、音楽や、効果音が無いのだ。
そういう音の無い世界ではどのように考えるのであろうか?
音の無い世界でのスキーマは私のスキーマとは全く違うであろう。

しかし耳の聞こえない人たちも文章を書く。日本語として理解できるのだから、私の持つスキーマと共通部分がある。むしろ文章になる場合、耳の聞こえない人たちのほうが単語の純粋なスキーマを持っている気がする。